小学生といえば、当たり前に背負うランドセル―。
フジタのランドセルの調査によると、小学6年生のお子さまを持つ親に尋ねたところ、93.0%が「6年間」ランドセルを使用していたことが明らかになりました。
引用:フジタのランドセル「6年生までのランドセルの利用率はどれくらい?」(2024.3.16)
しかし、沖縄の小学校では、高学年になるにつれ、ランドセルを背負わなくなる小学生も多いのが実情で、最近ではランドセル以外のカバンで通学することを認めている学校も増えてきています。
最近のランドセル離れは
身体的負担と金銭的負担から
最近になって、通学にランドセルを使用しなくていいという声明を発表する小学校も増えています。
高額化が進むランドセル 今年平均6万円に・・・ 「ランドセルじゃなくていい」と呼び掛けた沖縄の小学校
その背景として、小学生の身体に負担をかける重さと、ランドセルの高額化があります。
確かに、ランドセルは、今では高級品。
ランドセル工業会の調査によると、2024年の平均価格はなんと5万9138円。35年前の平成元年は2万8000円と当時の倍以上の価格となっているそうです。
僕が小学生だった2000年代では、そんな高級品ではなかったのですが、当時から兄弟や従兄弟のお下がりを使用している人もいたので、金銭的負担は大きかったのかもしれません。
小学生は、身体的にも大きく変わるため、ランドセルを背負うのも肩が凝ってくるし、そもそもランドセル自体が重すぎます。
僕も、小学生中学年ぐらいからはランドセルを完全に背負っていませんでした。
ただ、その理由は、身体的かつ金銭的な理由ではありませんでした。
ランドセルはダサい?背伸びする高学年もいた
僕が、ランドセルを辞めた理由。
それは、ランドセルで学校に来ない上級生がカッコよく見えたから。
僕は、3つ上の兄がいるのですが、兄は小5のときからはランドセルを背負っていませんでした。
よく見てみると、兄の友達もランドセルを背負っておらず、イケイケの1軍であればあるほど、ランドセルを背負わない人が多かった気がします。
どういうわけか、ランドセルを背負わない姿がカッコよく見えてきて、ランドセルがダサく見えてきたのです。
そこで僕は、小2からランドセルを背負わない日を作り、たまにランドセルを背負わずに学校へ行きました。
はじめは先生に注意されましたが、「身体が窮屈だ」と言えば、親身になってくれる先生は許してくれるので、やさしい先生が担任になったときにはサッカー部で使用していたセカバンに教科書とかを詰めて持ってきました。
よく考えれば、部活がある日は、ランドセル&セカバンという身体的負荷の大きいスタイルで学校に行ってたので、許してくれた先生の判断は、負荷を軽くするという意味でもありがたかったです。
つまり、ランドセルを背負わないということは、負荷を軽くする&カッコイイという二つの目的が達成されるのです!
僕は、憧れのセカバンスタイルで、学校に行っていました。
それでもランドセルを辞めない人は、
ランドセル表彰がほしいから。
しかし、それでもランドセルを背負わないで学校に行く小学生は少数派でした。
一部のませた小学生だけがそのスタイルを貫き、ほとんどの小学生はランドセルで登校します。
その理由は、6年間ランドセルを背負って登校すると、賞状と図書カードを貰えるから。
沖縄の小学校では、ランドセル表彰というものがあり、6年間ランドセルを使うだけで、なぜか賞状がもらえます。
これは、沖縄以外の地域の小学校でもあるそうですが、なぜこんな賞があるのかが未だによく分かりません。
モノを大切に使い続けることを称えたいのかもしれませんが、その代表がランドセルじゃなくてもいいと思うし、6年間のやせ我慢よりも、身体とお金のことを考えた方がいいと思います。
(ただ、僕はカッコつけたいがためにランドセルを使わなかったので、そんな偉そうな意見は言えませんが笑)
背負うも背負わないも自由であってほしい
僕が周りの沖縄人に聞いたところ、「小学生の時にランドセルがダサいという感覚はなかった」と言っている人がほとんどだったので、「高学年のランドセル離れ」は、沖縄の都会寄りの学校ならではの文化だったのかもしれません。
僕は、セカバンでしたが、他の人はナップザックやリュックなどで来ていました。
ランドセルじゃない人同士で群れ合うと、ちょっと大人になった感じがして、楽しかったのを覚えています。
ランドセルを背負うのも背負わないのも、個人の自由。
そんな自由気ままなスタイルの小学生が増えていくと良いなぁと思っています。